第325号 素直になれないわけがある

人の性格や好みは様々。
こうしなさいと
先生に教えてもらっても
何か、しっくりこなくて
言われたことを守らない。

忘れたわけではないし、
むしろ、心の中に引っかかっていたり、
気になるからこそ反発して守らない。
そんなことはないでしょうか。

別に囲碁に限ったことではなく、
いろんなことでそんな経験を持った
人は多いのではないでしょうか。

そのようなことが生じる原因の一つは
反抗的な性格です。
子供が上達が早いのは頭が柔軟というだけでなく、
多くの場合、性格が素直だからです。
子供でも反抗的な性格の子は
決して上達が早いわけではありません。

二つ目の原因は
必ずしも性格が反抗的だからというわけではなく
自分の経験に照らして
先生の教えに違和感を覚える場合です。

先生はAにしなさいというが、
自分はBでうまくいった。
むしろAを実行したら上手くいかなかった。

囲碁の場合、実はこのケースが非常に多い。
先生の教えと同じ方法で
自分の経験上もうまくいった場合、
それは貴重な成功体験となって
棋力を大幅に押し上げます。


しかし、
先生の教えと逆の方法で
自分の経験上うまくいった場合、
その打ち方にこだわる人は
例外なく足踏みすることになります。

こういう人は
前提が間違えていることに気が付いていません。
先生の教えと逆の方法でも
自分の経験上うまくいったのなら
それでいいじゃないか、と。

この発想は
「対戦相手は常に正しい手を打ってくる」
という間違った前提のもとに成り立っているのです。

相手が間違った応手をしたから
自分の間違った手も有効打になってしまったのです。
いつもそうだと思っていたら大間違いで
段級が上がったときに
相手が正しい手で応じてきて
コテンパンに負けて降級降段。
なぜなんだろうとわけが分からず、
落ち込んだままになる・・・

やはり自己流(自己経験流?)
より正統派のほうが最初は打ちにくくても、
最終的には上達も早い。
結論はそうなります。


ただ、それでも問題は残ります。
先生の言うとおり正しい手を打っても
そのあとの打ち方が分からず
正しい手を打った後に
間違った手を打って負けると
最初の正しい手も間違い
なのではないかと思ってしまう。

でも、一手一手、すべて教えてくれる
先生や棋書なんてありえないわけで
そこは自分で研究するしかないのかな
ということになりそうです。


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第324号 ひねりを入れるか入れないか

ひねりを入れるか入れないか
と言っても、
体操競技の話ではありません。

囲碁の次の一手問題は
人生の踊り場における判断に似ている
と思うことがあります。

重要な判断局面は
難問における対応ではなく、
ごくごく平均的な標準的な問題における
判断において起こります。

難問なら
自分の英知を振り絞って
考え、調査し
それでも
間違えて当然・・・
とまで言わないにしても
間違えても後悔しないかもしれません。

間違えても
所詮、自分の力を出し尽くしたのだからと、
思えば後悔しようがないのです。

しかし、
普通の
いや、もしかしたら
本当は簡単な問題かもしれない
と思う問題に突き当たったときに
あなたは
どういう態度を取るでしょうか。


これは簡単だと
素直に回答しますか。
それとも
簡単すぎる、何か裏がありそうだ
と思って、
ひねった回答をするでしょうか。

どんな時も
素直に回答できる人は
何も問題はありません。
うらやましいと思うくらい良い性格です。

しかし、
私は
ひねりたくなってしまいます。

たまたま見た新聞の詰碁1問では
そうは思わないかもしれませんが、
棋力判定テストとか、
判定結果が出る問題を
説いているときに、推理を働かせて
ひねりたくなる。


それは良い結果判定を得たいから
という「スケベ根性」のせいでしょうか。

対局では相手の考えていることは何か
を考えるのは
とても大切かつ効果のあることです。

検定問題の場合は
相手は出題者であるともいえます。

出題の意図を探りたくなります。
高度な問題を
やさしく見せて
回答者をひっかける
というのは
出題者側に立ってみると
結構やってみたかったりすることです。

そんな出題者の考えを推理してしまうと
回答にひねりを入れたくなるのです。

結論から言うと
ひねりを入れて正解すると
鬼の首を取ったように
「やったー!」
という気持ちになります。

でも、
ひねりを入れて間違えると
ひど~く後悔します。
素直に答えればよかったのに、と。

言うまでもなく
ひねりは入れない方がいいです。
素直に回答し、
間違えたら素直に
知識として吸収すればいいだけ。
その対応が上達一直線です。


ひねりを入れて間違えると
もともとわかっていたのに・・・
という気持ちがあるので
知識として吸収することでもなく
嫌な気持ちが残るだけ。


また、ひねりを入れて正解したとしても
一時、喜ぶだけで
新しい知識にはならないでしょう。
そもそも新しい学びは間違いから
行われるものであって、
正解から学ぶのはむずかしい。

目的を考えれば
次の一手問題に正解すること自体に
意味はないことに気が付きます。


次の一手問題は目的ではなく、
上達のための手段です。
それを題材に
変化を調べ、検討することが上達法のはず。


いつしか手段が目的になってしまうことは
よくある間違いではあるものの
囲碁でも特に勘違いしやすいところです。

次の一手問題を正解することに
執着するのは
負けや連敗を嫌い、
対局を避けることにもつながります。
言うまでもなく本末転倒です。


負けっぱなしではいけませんが
検討、研究さえすれば
「負ければ負けるほど上達できる」
という真理に行きつくはずです。



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第323号 どう打つべきかではなく、なぜこの手はダメなのか

どう打つべきかと
この手はなぜダメなのか
ということは
表裏の関係であり、
一見、内容は同じことのように思えます。
しかし、言わんとする結論は同じですが
具体的な内容はまったく異なります。

定石もそうですが
世に蔓延している棋書は
おしなべて
どう打つべきか、という
正しい手の手順の解説が
中心になっています。

それ自体が悪いわけでも
間違えているわけでもありません。
間違いではないのですが
面白くありません。
興味が繋がりません。

定石の勉強が嫌いという人の
ほとんどが
そう感じているのではないでしょうか。

人間の本能はたいしたもので、
面白くないことは覚えません。
どう打つべきかは
たとえ、一生懸命勉強しても
覚えられないのです。

ゲーム理論にしても
他のいろいろな習い事や学習にしても、
あるべき論だけやっていると
興味が途切れて
上達も停滞します。

大学入試や資格試験の
受験テクニックとしても
これは有名ですが、
理論体系を順番に説明していくのではなく
「なぜ、○○はいけないのか」
とか、
「なぜ、○○でなければならないのか」
など、疑問形式の学習が効果的であることが
分かってきています。

本のタイトルでも
「○○の基本」より
「△△がダメなわけ」
のほうが売れますよね。

囲碁の場合も同じです。
こう打つんですよ、
と定石手順を教えられても
あるいは自分で本で読んでも
覚えられない方が普通です。

そう、覚えられないのは
あなたのせいではないのです。

ただ、
市販棋書では
このタイプの物は少ないし、
あったとしても、逆に
マニアック過ぎて
難しすぎることや
自分が経験したことのないことについて
「なぜ、この手はダメなのか」
と言われても
やはり興味がわかなかったりします。

総じてプロ棋士の発想は自身の経験談
を元にしているので
アマチュアには
ピンと来ないことが多いのです。

ほとんどの場合、
プロは自戦譜をもとに
棋書を執筆していますが
アマの対戦譜をもとに
いけない手の指摘から
どうすればよかったか
の説明がきわめて効果の高い
指導法になっています。

これは棋書ではほとんど存在せず、
ごく一部の囲碁教室で行われていることです。
でも、費用の掛かる囲碁教室
を利用しなくても、
自分で、なぜこの手はダメなのか
という意識をもって
対局し、棋書などの囲碁教材に接することで
学習効果は相当上がるはずです。



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21:36 | Page Top ▲

第322号 かなづちを持つ人には、すべてが釘に見える

囲碁愛好家はおしなべて研究熱心です。
怠けものより勉強家のほうが多いから
怠けものが駆逐されて
勉強家だけ残るともいえるのかもしれません。

そのせいか、
囲碁愛好家は年々減少傾向で
その影響で
プロ棋士も一部のトッププロを除いては
生活も大変なようです。
ヒカルの碁で囲碁人口が爆発的?に増えた頃が
幻のように見えるから悲しい。

これ以上減少して欲しくない研究熱心な囲碁愛好家に
耳の痛い話でもあり特効薬にもなる話をお届けしたいと思います。
研究熱心であればあるほど陥る上達の罠
についてが今回のテーマです。

初段を目指す2~3級の人が
まず、チャレンジしなければならないのが
三々をめぐる問題です。

もちろん、ほかにもあるけれど
三々入りの問題がもっとも普遍的で
多くの人にピンと来るテーマのようです。

相手に三々に入られたときに
取らなければいけない形であるか、
入られて生きられても仕方がない形なのか。
その区別ができるか
そして、
それに対して正しく応手できるか。

初段レベルの技術ですが、
実際には実戦でこれが完璧にできれば
初段どころか高段者です。

表裏一体という言葉がありますが
逆に相手の隅に三々に打ち込む場合も
同時に研究しなければいけないわけです。

守りより攻撃のほうが好きな人が多いので、
三々打ち込みを研究したい人は多いと思います。
ここに罠があります。


研究を進めてある程度マスターすると
三々への打ち込むべき形でなくても
打ち込んでみたくなります。

まさに
「かなづちを持つ人には、すべてが釘に見える」
わけです。

石の位置が一つ異なるだけで
状況は変わるのに、
とにもかくにも
打ち込みたくなります。

実戦では
三々に打ち込むべき形が生じる
のはそう多くはないので、
似た形地や近い形のときに
試したいと思う気持ちは
なかなか抑えることができないのが人情です。

分かっていて、
試すのならいいと言っても、
この無理手が本来の自分のペースを崩し
連戦連敗のきっかけになることがあります。

研究していない人は
まったくかかることのない碁病気ですが、
研究熱心な人ほど
逆に棋力を崩してしまう
こわい碁病気です。

立ち直れば
さらに強くなれる体験になりますが
ペースを崩したまま
そのまま棋力が低迷してしまう人もいるので
気を付けましょう。

この記事を読んだ人は
そのような事態にはすぐ気が付くので
おそらく免疫ができるように
いったん低迷しても
すぐに立ち直れるのではないかと
思うのですが・・・



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第321号  暗記量を減らす勉強法

昔から学習方法には基本的に2通りあって、
一つは記憶力で覚えてしまう方法、
もう一つは、基本的な理論や仕組みを理解する方法です。

学校時代にクラスに一人や二人は
試験でどうしてそんなにいい点が取れるのだろう
と思う人がいたと思いますが、
不思議なことは何もなく
彼ら・・・彼女らは
ただ、上記2つの方法のどちらかの
名人であったわけです。

天才と言われるような人は、
普通は理解型です。

方や、記憶力の方は
力任せというイメージが強く
賢いというイメージとはちょっと
かけ離れてしまうのですが、
これも立派な能力です。

世にいう記憶術というと、
イメージ連想法で
何かと関連付けて記憶をとどめる
というインチキ方法が横行していますが
本当の記憶力というのはそんな
テクニカルなものではなく、

本のページをめくって行くだけで
その見開きのページを一枚ごとに
写真に撮ってしまうかのように
脳内で画像処理してしまう能力のことです。

試験などのときには記憶した教科書のページを
頭の中で開いていけばいいだけで
いわば合法的なカンニングとでもいえばいいのでしょうか・・・

能の中にパソコンがあるようなもので
100点満点以外、あり得ないわけです。
多少の間違いのある理解型より
はるかに天才であるともいえます。

それなら、このような記憶力の持ち主が
世界最強かというと・・・
世の中、うまくしたもので、
どんなにすごい記憶力を持った人あっても、
普通は20歳を過ぎると極端に衰えてしまうので
大人になると
記憶力型から理解・思考型へ
シフトしなければならなくなります。

だから、たとえ、過去にどんなに優秀であったとしても
中高年の人に
「覚えろ」とか
記憶力で勝負させるなんてもってのほかなわけです。
そもそも中高年に記憶力なんてないわけですから。

しかし、実際には
「でも、記憶しないで何かをマスターする
なんてことが可能なのだろうか。」
「何をやるにも記憶力が必要なはずだ。
自分は記憶力が弱いから何をやってもだめだ」
と、記憶力重視の人が多いようです。

囲碁にしても、まずは
定石を覚えなきゃ話にならんじゃないか。。。
相当な暗記力は必要なはずだ。。。
と思っている人が多いのではないかと思います。

しかし、定石を覚えるのに
記憶は必要ですが、記憶力は必要ないのです。

?????

ほとんどの人が
記憶は記憶力によって得るものだと決め込んでいます。
でも、記憶力ではなくて、
理解力によっても記憶を得ることが可能です。
理解すること
さらにさかのぼれば
興味を持つことです。

さらにさかのぼれば
好きになることです。

好きになれば知りたいと思うし、
知りたいと思えば記憶する行為も
ましてや暗記などまったく不要になります。

知りたいと思って
調べたこと・読んだこと・理解したことは
記憶しなくても記憶されます。

『こんなときどう打ったらいいのか知りたい』
その積み重ねで暗記なしで定石も記憶に入ります。
それを実戦で試すことによって記憶は定着します。


これで解決ですか?
いや、ただ、
~を知りたい
と思うことができない人がいます。

「何かオクレ」と、
与えられたことをもらうだけで
自分から具体的に
「これが欲しい、あれが欲しい」
と思うことができない人は
本当は囲碁が好きではないのかもしれないし、
残念ながら上達も難しいかもしれません。



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