第166号 負けそうな場面でも私は泣かない
| 学生時代、勝負事がきらいだという友人がいました。 勝者と敗者が生まれる事柄はすべていやだというのです。 彼曰く、 「勝ち負けのつかない遊びがいい」 心やさしき彼にとっては 囲碁も残酷なゲームだったのかもしれません。 何せ、生きるの殺すの、言ってますから。 そこまで行かなくても、 不利な局面にかかった場合、 誰もが悔しさと苦痛を感じるでしょう。 入門者にはちょっと難しいけれど 囲碁の手筋には サバキとシノギがあります。 サバキは相手の勢力圏で捨て石を使いながら わずかでも地をもって生きる打ち方。 わずかな地でも そこがすべて相手の地になった場合と比べると 十分な荒らしになるわけです。 シノギは文字通り、 形勢や生き死ににおいて絶対絶命のピンチを凌ぐ打ち方。 これらはともに上級もしくは有段者になって学ぶ 不利な局面を打開する技術(手筋)です。 ただ、これらの手筋を学んだとしても そういった局面では精神的苦痛を避ける ことができるわけではありません。 もう、ずいぶん前ですが・・・ 小林覚九段がNHK囲碁講座で とてもいいアドバイスをしてくれたのを思い出しました。 ・・・ 思い出しました、というのはウソで、 この思考は実は私の囲碁思考の中に完全に 取り込まれています。 それは・・・ 苦しい場面では、 囲碁と言うのは もともと不利なところからスタートして いかに追いつくか、 いかに逆転するかを 考えるゲーム だと思えばいい。 当時、 う~ん なるほど。 と、思いました。 いや、今でも。 不利な局面を耐える思考というより さらに一歩進んで 不利な局面を楽しむ思考になっています。 そこには 不利な局面からスタートするのだから 負けてもともと、という前提があります。 それが気負いをなくし、 冷静さを引き出してくれるのです。 NHK囲碁講座を担当していた当時の 小林覚九段は棋聖戦に挑戦している時期と完全にダブって いました。 「自分の棋聖戦よりこっち(NHK囲碁講座)のほうが気になる」 なんて泣かせること言ってくれましたが、 多忙な中、みごとに棋聖タイトルを奪取しました。 きっと、小林覚九段本人も 不利な局面では、 囲碁はここから始まるゲームだと 思って戦っていたのだと思います。 |
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第165号 勝つと思うな、思えば負けよ
| 柔道もののアニメやドラマは いつの時代も人気がありました。 年を取ると 昔の話が多くなって恐縮ですが、 若い人にはまた新しい話にも聞こえるのではないかと 思います。 たしか、昭和40年ごろです。 テレビで「柔(やわら)」というタイトルで 姿三四郎を主人公にしたドラマが人気でした。 当時、小学生だった私も 毎週真剣になって見ていました。 姿三四郎が猫を両手を離して落とし、 転がらずに立つその空中の身のこなしを 研究しているシーンがとても印象的でした。 受け身の研究ということなんでしょうが いかにもドラマっぽいですよね。 また、当時幼かった私の心に残った 一番のシーンは何かと言えば、 ↓ 柔は人を傷つけるためのものではないと 主張する姿三四郎に 強い者が弱い者を投げ飛ばすのがなぜ悪いと主張する 外国人の不良柔道家たちが複数で 夜の帰り道に姿三四郎に 襲いかかるシーンがありました。 姿三四郎はやむなく、 襲いかかってきた柔道家の一人を投げ飛ばします。 ドラマなので5~6メートル吹っ飛びます(笑) 放置すれば地面にたたきつけられ、 相手は大けが必至です。 彼は落ちてくる相手を 自らの手で受け止め、 「投げるだけが柔ではなく、 落ちてくるあなたを支えたこの手、この心が柔です。」 と、のたまうのです。 今さらのように思い出しましたが このドラマの主題歌「柔」 の出だしが 「勝つと思うな、思えば負けよ」 でした。 あなたは囲碁で勝とうと思っていませんか。 下手相手に 再起不能なまでにいたぶって、 自分だけ快感に酔っていませんか。 コテンパンに負けた相手は再起不能で 囲碁を止めてしまうかもしれません。 そういう勝ち方を望む人もいるかもしれませんが、 たぶん、その人の周りには誰もいなくなります。 勝つことは目的ではなく、 囲碁を楽しむための手段です。 そして、囲碁は人生を豊かにするための手段です。 目的と手段を取り違えると ゴールはまったく逆の方向になってしまいます。 勝負だからもちろん、勝ってもよいのです。 いや勝つべく戦わなくてはいけません。 しかし、 落ちてくる相手を 支える心 がない人の強さや技術は単なる凶器です。 刃物などなくても 人を傷つけることはできます。 勝負事ではありますが、 対局相手は敵ではありません。 仲間です。 どのように考えるか、 それはあなたの自由です。 |
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第164号 悪手で勝つ誘惑を断ち切れ!
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美しい形は強い。 |
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第163号 もしも相手がアタリに気がつかなかったら
| この石取りたいなぁ。 あっ、取れるかも。 気がついたかなぁ・・・ こんなことありませんか。 と訊くまでもなく、 たいていの人が経験済みだと思います。 相手がどう打とうが取れている というのではなく、 相手が気がつけば取れないが、 気がつかなければ取れる・・・ という場合です。 大石だったら ちょっと、ドキドキしますね! 相手がアタリに気がつかないで、他に打ったら 気がついて打ち直さないうちに 早い動作でさっと相手の石を取ってしまう、 そういう行動をする人、けっこう多いです。 取られる立場で見ても 観戦者として見ていても かなりみっともないです。 そもそも打ち直しや 打ち直しの懇請はルール違反なので そんなことは心配する必要がないのです。 でも、まれに「ハガシ」をする人もいるので はやく石を取ってしまいたいのでしょうね。 そもそもルールとして相手がアタリに気がつかなかったら、 黙って石を取ってもよいのか、という問題ですが、 ルールでは禁じられていません。 対局ソフトの中には アタリになると 「アタリです。」 と、いちいち音声でアナウンスするものもあります。 これはルールではないけれど マナーとしてはアタリは相手に告知するのが良いとされているからです。 私はアタリに気がつかない相手の不注意で勝ってもうれしく ないし、それで自分の棋力が伸びるわけでもないので、 アタリを告知してしなかったことを詫びて 相手に打ち直してアタリをツイでもらっています。 そうすることで打ち直しがルール違反でないことを示し、 相手の不要な罪悪感を拭うようにしています。 ズルでも何でもないんだよ、 と認識してもらうためです。 まあ、高潔な人格者のようなことを言っていますが、 せっかくの対局をあなたのそんなドジで台無しにしないでよ。 という気持ちも半分あります。 もちろん、だまって石を取っても 非難されるものではありません。 ただ、人格は見られます。 そういう人なんだな、と。 プロの世界では気がつかない方が恥ずかしいので 告知もしませんし、 告知しないことを詫びることもありません。 囲碁の思考からいえば、 相手が気がつかなければ取れるかもしれない石を 追いかけること自体が未熟で間違った思考なのです。 そういう打ち方をして相手が気づいてツイだら、 自分の石の形が崩れていて逆に取られてしまうということ はよくあります。 目指すべきは勝利ではなく 棋力アップです。 ただただ刹那の勝利に酔いしれても あなたの棋力は向上しないのです。 |
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第162号 負けない技術
以前、「囲碁サブノート」サイト上で毎週、詰碁を出題する「詰碁ランキング」というコーナーをやっていたころの話です。 この囲碁大好きを発刊する2003年以前のことです。 詰碁に関するポイントやエッセイを時々サイトに書いていました。 その中で、対局において死活等に関して 対局者同士の判断が分かれたときどうするか、 という問題を提起したことがありました。 特に級位者にとって 「曲がり四目」の死活はわかりにくく、 対局で、もめることがよくあったからです。 もちろん、その判断によって、勝敗そのものが逆転するという想定です。 私は、 自分が正しいと思っても、所詮、素人。 間違っているかもしれないし、 相手が理解できないようだったら その場は勝ちを相手に譲り、 棋譜を残して後日、検討して 自分の知識として吸収すればいい、と書きました。 実は当時、これにはかなりの反論がありました。 正しいことは相手にわからせるまで主張すべきという 意見が大勢でした。 あなたはどうでしょうか。 この意見の まっすぐな気持ちはわかります。 でも 囲碁とは言え・・・ そんなに筋を通してどうするんでしょうか。 その主張の裏には 勝ちたいという気持ちがあるはずです。 自分のことだけ考えているから 何が何でも勝ちたくなるのです。 自分、自分、ではなく、 少しだけ相手のために打ってみましょう。 相手のために打つということは 負けてあげるということではありません。 いい碁を打つということです。 正々堂々とした、恥ずかしくない碁を打つということです。 そうすれば 検討もせず勝敗だけにこだわることの愚に気がつくでしょう。 囲碁においては 勝ちたいと思うほど、 相手のミスを期待するような卑怯な手を打ち、 すでに50目もリードしているのに さらに勝とうとして 相手をいたぶり、傷つけ、 あるいは 欲張って自滅し、 すでに負けているのに、 相手の迷惑も顧みず投了せずに打ち続ける ようになってしまいます。 勝っても負けても これは醜い。 勝つためではなく 相手のためにいい碁を打つこと。 実はこれが一番負けない打ち方なのです。 勝っても負けても、 相手から楽しかった、勉強になった、 また打ちましょう と言われる碁を打ってください。 囲碁は「手談」。 打つ手によって語らうゲームです。 勝ちたいという邪念を捨てた時こそ 一番強い自分になれるのです。 |
