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第220号 正解は一つではない

日経新聞の1面のコラム、めったに読まないのですが、
先日、作家の久間十義さんの「国語入試問題」というタイトルに
思わずひきつけられて読んでしまいました。
なぜかな。。。

ある予備校から
あなたの文章を国語の問題集で使いたいので許可してほしい
というオファーがあったそうです。
作家ですからありそうな話です。
以前、入試問題に採用されたことがあったので、
予備校が対策として教材に使いたいということだったようです。

完成して送られてきた問題を見て、
よせばいいのに
解いてみたくなったそうです。
自分の書いた文章だから
解けるに決まっている。

ところが
解けない・・・
自分の書いた文章なのに。

試験問題だから
これも、あれも、それも正解というわけにはいかないので、
国語といえども、数学のように1つのはっきりした解答を
要求しているわけです。

間違えた者の言い訳だが、と言いつつ、
受験生はどんな文章を読んでも正解は1つと
思いこんで人生を生きていくのではないかと懸念して
コラムを結んでいます。

これを読んで私は自分の高校時代を思い出しました。
現代国語の担当教師が教科書の
「詩」の章になると、
「私は詩はわからないので・・・」
と言って、その章を飛ばしてしまうのです。
入試にだって出るかも知れないのに。

私は実力のない教師だなと、
思ったのではなく、
共感してしまいました。

異なる人生を生き、環境の異なる生活をしている人間が
1つの詩を読んで皆同じ解釈をすることのほうが奇異なこと。

みなそれぞれの人生に応じて感じ方や解釈が違って当然だと
思っていたので、
この先生に内心、拍手を送ったものでした。

型にはまったロボットのような画一的な人間を作るのを得意とする
のが日本の教育です。
その方が為政者(政治家・役人)に都合がいいですから。

囲碁の本には、
ときどき
「こう打っても一局の碁」
という解説を見かけます。
正解が1つに限定できないときの常套句です。
中盤にとくに多いのですが、
このような解説ができるプロは懐が深いです。

みんなが同じ手を打ったら
囲碁なんでマネ碁になっちゃうし、
つまらないです。

正しい知識に上乗せすべきなのは個性です。
人と同じである必要はありません。

でも、もちろん、答えが1つしかないものもあります。
死活で間違えて
全滅して

「こう打っても一局の碁」

なんて言わないように。


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