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第286号 碁打ちは勝負師であれ!

いろんな人と対局してみると、
「囲碁は戦いである」
ということを意識していない人が意外と多いことに気づきます。

あなたは勝敗のみにこだわっていないでしょうか。

戦いであることを知っているから
勝敗にこだわっている
とも言えるのですが、

勝敗のみにこだわっていると、
それは戦いというより、泥試合になってしまうのです。

戦いとは言っても
囲碁は命までかけているわけではありません。
言ってしまえば、ゲームです。

命をかけているのなら
形なんかどうでもいい。
ルールさえ無視していい。

生き残るためならどんな汚い手を使ってもいい、
生き残った者勝ちだ。
と言われたら、それを完全に否定はできないかもしれません。


でも、ゲームなら
格好をつけてみるのも洒落ているのです。


命をかけてはいないけれど、
生活をかけているプロ棋士の碁の
いわゆる「投げ場を求める」という行為に
その生き様をみることができます。
それは投了のタイミングと言ってもいいでしょう。

かなり以前、テレビ放映のNHK杯で
淡路修三九段の
敗勢になった盤面半分を捨てて
残りの盤面半分に一発逆転の
勝負をかけた碁を見たことがあります。


碁盤半分が大型定石の進行で打ち進み、
残りの半分がまだガラ空きだったのです。

どんな敗勢でも可能性があれば、追求する。
そして、勝利の可能性のなくなった時点で潔く投了。
残りの盤面半分が投げ場だったわけです。
勝負師ですね。


あなたは敗色濃厚になったとき、
この一手に相手が正しく応じたら
これを最後の手として投了しよう、
と思う瞬間がありますか?


いや、まだまだ、まだまだ、
と傍目(はため)には勝負が決まっている碁を
そして、自分も薄々それに気がついていても
大差のついたご碁をズルズルと
最後まで打ちきって作り碁にしてしまう・・・


棋力が上がれば、大勢をみる目ができるので
そういうことは基本的には少なくなります。

ただ、心の棋力が低いと
勝利の誘惑に負けて汚い碁を打ってしまう
ことがあります。


偉そうに言っている私も
対局ソフト相手とはいえ、
手戻ししようかなと思ってしまうことがあります。
それをしないために「手戻し禁止」モードで打っているんですけどね。
それだけ心が弱いということです。


勝負は何があるか最後までわかりません。
だからどんなに負けていても
盤上に打つ場所がなくなるまで打ちます。
という考え方がないとは言いません。
そういう人もいます。

相手がアタリに気がつかないで
勘違いして大石を取らせてくれるかもしれませんし・・・

でも、それで勝って嬉しいんでしょうか?本当に?
あなたの勝利の喜びはそんな安っぽいものなのでしょうか?
違いますよね。


本当の心の満足を得るためには
自分が理想とする勝ち方が必要です。
いや、たとえ負けても納得する碁が打てたら
それでいいのです。

川中島の戦いで有名な戦国武将、武田信玄と上杉謙信は
生涯のライバルでしたが、
晩年、武田信玄は病死するとき、その息子たちに
「自分の死を3年隠し、謙信とは争わず、頼りにするように」
と言い残し、
上杉謙信も武田信玄の死をひどく悲しんだ
というエピソードがあります。

たとえ、敵同士であっても、
お互いを人格者として認め合っていたというわけです。


初級者~中級者に多いのですが、
相手がアタリに気がつかないで
ほかに打つと、
相手が打ち直さないうちにとばかりに
相手が打った瞬間、間髪入れずに打って
相手の石を取りあげる人をよく見かけます。


その慌て腐った動作がめちゃくちゃ下品で、格好悪いし、
棋力だけでなく、人格まで下げてしまいます。

相手がほかに打ったら
ここ、アタリですよ
と言ってあげてください。

この場合の打ち直しはルール違反ではありません。
アタリは教えるというのがマナーです。
教えないほうがマナー違反です。


相手がプライドのある人なら
「いえ、打ってしまったので、このままで行きましょう」
と言うでしょうし、

「打ち直させてください」
もあるでしょう。

どちらもOKです。


勝負師の敵は相手ではなく自分です。
勝負にこだわるのではなく、
勝ち方、負け方にこだわるのです。



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