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第319号 鹿を追う者は山を見ず


夢中になることは子供じみたことのように
言われることがありますが
果たしてそうなのでしょうか。

囲碁に夢中になったことが
一度もないという人が
強くなったためしはないし、
そもそもそういう人は
このメールマガも読んでいないと思います。

少なくとも一時期は夢中になったことがないと
囲碁を趣味として続けてはいないはずです。

囲碁だけの話ではありませんが、
子供が驚くほどの進歩を見せるのは
3度の飯も忘れるほど夢中になることができるからです。


私も40を過ぎたころ、子供のように
対局のために日本棋院に入りびたりになって
いた時期がありました。

今、思い返してみれば
そのころの上達がもっとも大きく、
それが礎となって
今の自分があります。

ほとんどの人にとって、
たとえ、有段者であろうと
高段者であろうと
二けた級から一桁級にかけた棋力のころの「夢中」が
現在の棋力の土台になっているはずなのです。

囲碁では大局観が大切と言われますが、
よくよく考えてみると
夢中になればなるほど
大局観は失われていきます。

相手の石を取ろうとして
追いかけていくうちに
いつの間にか自分のほうが取られた
という経験は誰しも持っているものです。

そこまで初歩的ではないにしても
似た様な経験はあるのではないでしょうか。


対局で勝ためには、
一局の中に
絶対負けてはならない石のせめぎ合い
というものが少なくとも1回は生じるからです。

大局観を失った状態を
よく、
「木を見て森を見ず」
ということわざに例えますが、
私の場合はいまいち、ピンときませんでした。

相手の石を追いかけて夢中になっている様子は
「鹿を追う者は山を見ず」
ということわざのほうがぴったりではないでしょうか。

猟師が鹿を捕まえようと夢中で追いかけるあまり、
山中深く入りこんでしまったことに気づかないさまが
囲碁の打ち手が相手の石を追いかけて
形勢不利の山中に入り込んでしまう様子に
あまりにもぴったりのように思えるのです。


夢中になることは大事ですが
囲碁で少し大人(上級者)になったら
冷静になることも覚えないといけません。

木を見て森を見ていない自分より
鹿を追って山中に迷い込んだ自分のほうが
子供っぽくて数十倍も恥ずかしく思えてきませんか。

「鹿を追う者は山を見ず」

鹿を石に、
山を碁盤に
置き換えたら、
ピッタリ当てはまる囲碁格言になります。

「石を追うものは碁盤を見ず」



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