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第320号  王道とは何か~たった一つの方法~

あなたはなぜ囲碁を学ぶのでしょうか?
囲碁を通じて人生を学ぶとか、
そういう高尚な目的を度外視すれば、

楽しいから
強くなりたいから
この2つがほとんどかもしれません。

さらに言えば、
楽しいからというのは本来の目的ではありません。
囲碁を始めた最初の頃、楽しいと感じたのはなぜか
を思い出してみればわかります。
それは勝った時の快感と達成感が心地よかったからのはずです。

そもそも勝てなければ
楽しくもないので
囲碁の勉強を続けていないでしょう。

つまり、
囲碁の原初的な目的は
「強くなるため」
であるはずで、楽しいからというのは
目的としては副次的なことなのです。

市販されている棋書や囲碁教室などにおける
囲碁の学習機会は
強くなるためという目的で作成され、
あるいは企画されています。

楽しく・・・というのは
読者や受講者が飽きて途中でやめてしまわないための
副次的な措置であるわけです。

もちろん、楽しいというのも大切なことです。
囲碁をやるすべての人が意欲満々で
強くなるためにはどんな障害も乗り越えていく・・・
という人ばかりではないからです。
言い換えれば言葉は悪いのですが
続けるためには子供だましも必要ということです。

ですが、本当に強くなりたいと思っている人にとっては
楽しく・・・という企画は
ちょっと、うざいとさえ思えるはずです。

ズバリ、
どうしたら強くなれるか
何を学べば強くなれるか
が知りたいわけです。

人より早く強くなれる方法はないのか。
強くなるための合理的な方法はないのか。
なにか上達するための独自な方法はないのか・・・

熱心であればあるほど
人と違った学習方法を模索してしまう、
上達道をきわめようとすれば、
そうした異道に迷い込んでしまいます。

人と違う上達法などあるはずがありません。
上達する方法・・・
は「たった一つ」しかありません。

棋書で学ぶ場合も教室で指導を受ける場合も
出発・追跡・停止の3つの作業の反復でこと足ります。

出発=書き手(話し手)の問題意識を読み取り、
追跡=論の展開を追い、
停止=結論をつかむ

この3つの当たり前のことだけなのです。
独自の方法とか、特別の方法とか
あるはずありません。

なぜなら
私たちが他者の言葉を理解できるのは
共通の理性を持っているからです。

理性によって紡がれた他者の言葉に対して
自分の理性をもって向き合う。

それがたった一つの
まっとうな知的営みなのです。

テレビの討論会や国会中継などで
政治家や評論家や論客による政治・経済の討論が
よく放映されていますが、
かれら参加者の意見がいつまでたっても平行線なのは
共通の理性を持っていないからです。

幸い、
囲碁においては
共通の理性で理解が可能です。

ただし、これには反復が必要です。
天才でない限り、
1回で書き手や話し手の
言うことを理解できるはずがありません。

講師のことばを理解するのに
特別なことは必要ありません。
共通の理性があるので、
反復して読んで、聞いて、
理解すれば良いだけです。

ある人が考え出した独自の方法や自分だけの方法は
共通の理性を度外視しているので
むしろ、障害にしかなりません。

理性によって紡がれた他者の言葉に対して
自分の理性をもって向き合う、
それが王道学習法なのです。


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