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第324号 ひねりを入れるか入れないか

ひねりを入れるか入れないか
と言っても、
体操競技の話ではありません。

囲碁の次の一手問題は
人生の踊り場における判断に似ている
と思うことがあります。

重要な判断局面は
難問における対応ではなく、
ごくごく平均的な標準的な問題における
判断において起こります。

難問なら
自分の英知を振り絞って
考え、調査し
それでも
間違えて当然・・・
とまで言わないにしても
間違えても後悔しないかもしれません。

間違えても
所詮、自分の力を出し尽くしたのだからと、
思えば後悔しようがないのです。

しかし、
普通の
いや、もしかしたら
本当は簡単な問題かもしれない
と思う問題に突き当たったときに
あなたは
どういう態度を取るでしょうか。


これは簡単だと
素直に回答しますか。
それとも
簡単すぎる、何か裏がありそうだ
と思って、
ひねった回答をするでしょうか。

どんな時も
素直に回答できる人は
何も問題はありません。
うらやましいと思うくらい良い性格です。

しかし、
私は
ひねりたくなってしまいます。

たまたま見た新聞の詰碁1問では
そうは思わないかもしれませんが、
棋力判定テストとか、
判定結果が出る問題を
説いているときに、推理を働かせて
ひねりたくなる。


それは良い結果判定を得たいから
という「スケベ根性」のせいでしょうか。

対局では相手の考えていることは何か
を考えるのは
とても大切かつ効果のあることです。

検定問題の場合は
相手は出題者であるともいえます。

出題の意図を探りたくなります。
高度な問題を
やさしく見せて
回答者をひっかける
というのは
出題者側に立ってみると
結構やってみたかったりすることです。

そんな出題者の考えを推理してしまうと
回答にひねりを入れたくなるのです。

結論から言うと
ひねりを入れて正解すると
鬼の首を取ったように
「やったー!」
という気持ちになります。

でも、
ひねりを入れて間違えると
ひど~く後悔します。
素直に答えればよかったのに、と。

言うまでもなく
ひねりは入れない方がいいです。
素直に回答し、
間違えたら素直に
知識として吸収すればいいだけ。
その対応が上達一直線です。


ひねりを入れて間違えると
もともとわかっていたのに・・・
という気持ちがあるので
知識として吸収することでもなく
嫌な気持ちが残るだけ。


また、ひねりを入れて正解したとしても
一時、喜ぶだけで
新しい知識にはならないでしょう。
そもそも新しい学びは間違いから
行われるものであって、
正解から学ぶのはむずかしい。

目的を考えれば
次の一手問題に正解すること自体に
意味はないことに気が付きます。


次の一手問題は目的ではなく、
上達のための手段です。
それを題材に
変化を調べ、検討することが上達法のはず。


いつしか手段が目的になってしまうことは
よくある間違いではあるものの
囲碁でも特に勘違いしやすいところです。

次の一手問題を正解することに
執着するのは
負けや連敗を嫌い、
対局を避けることにもつながります。
言うまでもなく本末転倒です。


負けっぱなしではいけませんが
検討、研究さえすれば
「負ければ負けるほど上達できる」
という真理に行きつくはずです。



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