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第162号 負けない技術


以前、「囲碁サブノート」サイト上で毎週、詰碁を出題する「詰碁ランキング」というコーナーをやっていたころの話です。

この囲碁大好きを発刊する2003年以前のことです。
詰碁に関するポイントやエッセイを時々サイトに書いていました。

その中で、対局において死活等に関して
対局者同士の判断が分かれたときどうするか、
という問題を提起したことがありました。

特に級位者にとって
「曲がり四目」の死活はわかりにくく、
対局で、もめることがよくあったからです。
もちろん、その判断によって、勝敗そのものが逆転するという想定です。

私は、
自分が正しいと思っても、所詮、素人。
間違っているかもしれないし、

相手が理解できないようだったら
その場は勝ちを相手に譲り、

棋譜を残して後日、検討して
自分の知識として吸収すればいい、と書きました。

実は当時、これにはかなりの反論がありました。
正しいことは相手にわからせるまで主張すべきという
意見が大勢でした。

あなたはどうでしょうか。
この意見の
まっすぐな気持ちはわかります。

でも
囲碁とは言え・・・
そんなに筋を通してどうするんでしょうか。
    
その主張の裏には
勝ちたいという気持ちがあるはずです。

自分のことだけ考えているから
何が何でも勝ちたくなるのです。
自分、自分、ではなく、
少しだけ相手のために打ってみましょう。

相手のために打つということは
負けてあげるということではありません。
いい碁を打つということです。
正々堂々とした、恥ずかしくない碁を打つということです。

そうすれば
検討もせず勝敗だけにこだわることの愚に気がつくでしょう。

囲碁においては
勝ちたいと思うほど、

相手のミスを期待するような卑怯な手を打ち、
すでに50目もリードしているのに
さらに勝とうとして
相手をいたぶり、傷つけ、

あるいは
欲張って自滅し、
すでに負けているのに、
相手の迷惑も顧みず投了せずに打ち続ける
ようになってしまいます。

勝っても負けても
これは醜い。


勝つためではなく
相手のためにいい碁を打つこと。
実はこれが一番負けない打ち方なのです。

勝っても負けても、
相手から楽しかった、勉強になった、
また打ちましょう
と言われる碁を打ってください。

囲碁は「手談」。
打つ手によって語らうゲームです。

勝ちたいという邪念を捨てた時こそ
一番強い自分になれるのです。


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