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第235号 石橋を叩いて壊す

石橋を叩いて渡れ!

ということわざがあります。
ことわざには常に二面性があります。

石の橋はそうやすやすと壊れるはずがないのですが、
それでも一応叩いて壊れていないことを確かめてから渡りなさい
という戒めでもあり、

それとは真逆に

慎重すぎる人や臆病すぎる人に対して皮肉をこめて
いうことわざでもあります。

後者の意味のほうが一般的に使用されるときの意味
のようです。
先日のトンネル事故などを見ると、
やはり石橋でも叩いて渡った方がいいように思うのですが、
このことわざには原型とは違う変形したことわざが派生しています。

その一つは
「石橋を叩いても渡らない」
です。

これは、用心をしたのに、結局実行しない
という臆病に憶病を重ねた人への戒めになっています。
何のために石橋を叩いたのかということです。

もう一つは
「石橋を叩いて壊す」
です。

用心に用心を重ねたのに、それでも結局実行しないことを揶揄した表現で、
用心深くなりすぎた為に失敗することの戒めとして使われているようですが、
文字通りに受け取れば、

人間が叩いたくらいで壊れてしまうほど弱くなっていたんだから
やっぱ、叩いて壊してよかったんじゃない?

用心に越したことはないという意味にも採れなくはありません。



さて、あなたはどうでしょうか。
人生において・・・
とか言うつもりはありません。

囲碁で次の一手で迷った時、
どうしますか。

最近はないと思いますが、
以前、NHK杯で生放送ではないですがテレビ放映中、
持ち時間がなくなり、一手10秒の秒読みに入っても打てずに
大きなブザーが鳴り響き、
時間切れで負けたプロ棋士がいました。
前代未聞の出来事でした。


話は変わりますが
明治維新に活躍した有志たちは
みな意志が強く、行動力があったと思われています。
それでなければあのような大きな維新は起こせなかったはずだからです。

しかし、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される大久保利通
は優柔不断だったとも伝えられています。

それは豪傑の多かった維新の士の中で
大久保利通は唯一の知性派で、

頭がいいがゆえに、あらゆる可能性が読めてしまい、

決断に躊躇することがあったからといわれています。


囲碁の世界で「ヨミ」は非常に大切な要素です。
究極は先が読めなければ話にならないのですが、
たとえ読めたとしても
最善手がない場合があります。

ほぼ互角の形勢で
どう打っても同じだったり、
窮地に追い込まれていて、やはり
どう打っても同じだったり、わからなかったり。

どちらの場合も迷います。
こういう場面では
棋力は関係ありません。

大げさな言い方をすれば人生観です。


互角の情勢で迷ったなら、そして、
どう打っても同じ、またはわからないと思ったら
サイコロ振って決めても確率的には同じこと。

迷うことで形勢がよくなるなら
いくらでも迷ってほしい。

しかし、迷っても形勢がよくなるわけがないので
サイコロ振って決めればいい。
そういう割り切り、決断は必要です。

一番いけないのは
石橋の前で、何もせずにうろうろすること。
それこそ時間切れ負けとなってしまいます。
こんな悔しいことはないでしょう。

考える(=ヨム)ことと迷うことは違います。

長考ではなく、ただ迷い続けているだけなら、
何の意味もありません。
とにかくサイコロ振って、決めて
打ってみればいいのです。

打てば失敗しても成功しても
知識が増えます。

石橋を叩け!
石橋をたたいて壊してみればいい。

壊れなかったら渡ればいい。
壊れたらほかの道を探せばいい。

石橋を叩きもしないで
ただ、石橋の前でうろうろしている人があまりにも多いように思います。


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