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第259号 定石はずれの正体はヨミの甘さか、不勉強か?

長政は妹のお市に惚れ込んでいる。

じっさいに越前へ攻め込んでしまえば、
多少の不満はあっても、
結局は中立の立場をつらぬくであろう・・・

信長は、浅井長政の行動をそう読んでいた。

しかし、この読みは甘かった。
周到なようでいて、信長という男には
こうした脇の甘さ、自己中心的な強い思い込みがある。

浅井長政は信長がおのれに断りもなしに
越前へ攻め入ったことに怒りをおぼえ、
悩みに悩んだすえに、妻の兄である信長に押し切られるよりも、
朝倉氏への義を取った。


(火坂雅志  天下 家康伝 より)


退路を断たれた信長軍は
このあと全滅を避けるために撤退せざるを得なくなりました。

たとえ朝倉氏に義理があっても、
義兄と天秤にかければ
浅井長政は身内である義兄を重んじて
少なくとも中立の立ち場をとるだろう
という信長のヨミは
いかにもまともなヨミのようにも思えます。

しかし、そうならなかった・・・

浅井長政が定石はずれを打った、
信長としてはそう思えたのかもしれません。

しかし、浅井長政にとっては
迷ったにしても、
定石の選択肢のひとつだったわけです。


まじめに勉強している初・中級者ほど、
定石を正しく打つことに専念します。

ところが上級者・有段者になればなるほど、
相手の思惑をはずすことを考えています。



下手の初・中級者はこれを
定石はずれとかハメ手だと思って
基本もろくに覚えていないのに
定石はずれのとがめ方を勉強しようとして、
ますます頭が混乱します・・・


ところが
実はこれは定石はずれやハメ手ではないことが多いのです。

強い上級者であればあるほど、
自ら定石はずれを打って、
それをとがめられて負けるような愚をおかしません。



相手の思惑をはずすと言っても、
数ある定石のなかから選択したり、
同じ定石でもその変化形を使ったりしているだけ
であることが多いのです。


基本定石の基本手順しか知らない初・中級者は
これを定石はずれを打たれたと
思ってしまうわけです。

私は定石はずれを打たれて
それをとがめることができなかった時には
定石事典で調べます。

すると、それは定石はずれではなく、
定石の変化形であったことが多いのです。

定石なのにそれをとがめようとしたのですから
定石はずれを打っていたのは
むしろ自分の方だったということになります。

相手の定石はずれを疑う前に
自分の勉強不足を疑ってみるのが先だと
反省するばかりです。


「定石はずれのとがめ方」
という分野を認識するまとめ方もありますが、
基本定石の理解や変化の学習という基本学習の中に
それはあると、とらえた方が良いような気がします。

「定石はずれのとがめ方」という分野を
認識することは間違いではないのですが、

定石はずれのとがめ方を特別に学習するより、
それは基本定石のより深い理解を目的とした学習の延長線上にあり、
基本の中にそれは含まれていると考えるほうがよさそうです。


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