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第266号 強気の人は囲碁が強い?

今回は定石はずれならぬ
「季節はずれの」幽霊話です。

幽霊話というと、
人を怖がらせるだけの怪しげな作り話
だと思っている人が多いのではないでしょうか。

だから、そんな与太話は
ろくでもない作家が書くのであって、
名だたる文学者がそんなものを書くはずもない
そうお思いの御人も多いかと・・・

ところが、
けっこう多くの著名な作家、文豪が
幽霊話を書いているのです。

幽霊話とはいっても、
荒唐無稽(こうとうむけい)なバカ話では
ないのです。

人を夢中にさせるためには
もしかしたらあるかもしれないと思わせる
真実味がなければならず、

そのためには、
話の進行・背景・構成に無理があってはいけないし、
信じさせる文章表現力が必要になります。

作家にとっては腕試し(修行)の意味合いも
あったのかもしれません。


真実100%ではドキュメンタリ-になってしまいますし、
ウソ100%ではそれこそでたらめなただの与太話です。

ウソ半分、真実半分
で書くのが予想外に難しく、また、
そのころあいがほど良く
人の興味をひくようです。


文豪の幽霊話で有名なのが
夏目漱石の『夢十夜(ゆめじゅうや)』という作品です。

夢の中の話という設定で、
不思議な話が10話載っています。

いずれも
「こんな夢を見た。」
という書き出しで始まる有名な作品です。


ちなみに第1話はこんな話。

こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が…
死ぬ間際の女に「百年待っていてくれ」と自分は頼まれる。
女の墓の横で待ち始めた自分は、
赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見る。
そのうちに女に騙されたのではないかと自分は疑い始める。
その自分の前に、一輪の真白な百合が伸びてくる。
いつの間にか百年が過ぎていた。

・・・


さて、何が起こるのでしょうか???

続きを読みたい人は
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PDFファイルで差し上げます。

⇒  http://igodaisuki.net/bungaku/01.html


異質なものでありながら
囲碁と小説の世界には共通したものがあります。

小説は自分の解釈の余地もあるけれど、
著者の言いなりにしか進みませんし、

囲碁は相手次第で先がどうなるかわからない
不確実性の世界です。
相手の出方によって
まるっきり違う進行になります。


どちらも
自分の意思だけではコントロールできない世界
ということで共通しています。

気の強い人は小説を読んでも、
こんな話はおかしい、
自分ならこういう話の展開・結末にしたい
とか思うらしいです。

そういう人が囲碁を習い始めると
かなりのストレスがかかります。

中途半端に気の強い人は
囲碁を避けます。

面白いよといくらすすめてもやりません。

やりはじめても、
碁敵に追い抜かれるとやめてしまいます。

思い通りにならないことががまんならないのです。
そこが面白いところなのにね。
本当に気の強い人は
追い抜かれたらまた抜き返しますが・・・


自分がしたいことはあっても、
相手がしたいこともあります。


「自分はここ、相手はそこ」
なら、共存できますが、そうはいきません。

中盤以降は必ずぶつかり、戦いになります。
囲碁はもともと思い通りには
行かないものです。

囲碁のような頭脳ゲームのコツは


両者の調和を取ったふりをして
相手が気づかないレベルで
わずかに自分に有利なようにしてしまうこと。



なにやら処世術に似ています。

囲碁の打ち手には
強気の人、弱気の人がいます。

どちらがいいのかという話もありますが、
実はこれは枝葉の理論であって、

囲碁の真髄は
「強気がいいか弱気がいいか?」にはなく、
それを超えた「調和」の次元にあるのです。




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