トップページ >囲碁エッセイ> 第282号 妖怪と対局した碁聖

第282号 妖怪と対局した碁聖

囲碁は中国で生まれ、日本に渡って発展したゲームと言われています。
日本ではいつごろ囲碁が打たれるようになったのかというと、
実は古代の歴史ゆえ、信頼できる史料がないため
確かなことはわかりません。


わかっているのは、推古天皇の時代(7世紀)のこと。
聖徳太子が当時の中国、隋(ずい)に遣隋使を送りましたが、
その帰り、隋からの使者、裴世清(はいせいせい)が日本に来て
日本の政治、民族、習慣などを見聞して随に帰って、
『隋書』倭国伝 という史書を書き残しました。


それには当時の日本では、
囲碁、スゴロク、ちょぼ(サイコロ博打)が行われていた
と記述されています。
この時代には既に囲碁が日本で打たれていたということが
随の史書に残っているわけです。


平安時代に入ると、
貴族階級が天皇制と癒着しつつ、支配体制を固め、
平安後期に入るとあらたに勃興してきた武士団とのからみで
貴族社会の危機を迎えます。

そうした時代の中で、囲碁は貴族の遊戯として楽しまれたようです。
そして、その中で最初の囲碁名人というべき碁打ちが現れました。
碁聖 寛蓮(かんれん)です。

寛蓮は碁好きの醍醐天皇に仕えていた僧侶でしたが、
あるとき、醍醐天皇のお相手をするため宮中に入ったところ、
ひとりの少女に呼び止められました。

後についていくと、
こざっぱりとした家に案内されました。
そこには碁盤が用意されており、
すだれの向こうから女の声がして、

「あなたは当代随一の打ち手と聞くが、
どのくらい打つのか拝見したい。
私も多少打つので」
と言いました。

そこで寛蓮が碁笥の一つをすだれの中に差し入れると、
それをすだれの外に押し返し、
女は恥ずかしがって、姿を現しません。

几帳のほころびから細長い棒を出して自分の打つ所を
示すのです。

そして、碁聖を相手に
「何目おいていいのかわからないのでとりあえず先手で」
などというではありませんか。
私たちがプロ棋士を相手に互先で、
というようなものです。


こうして対局が始まりましたが、
なんと、
碁聖、寛蓮の打った石はすべて殺されてしまいました。

これは奇怪なこと。
こんな強い者がいるものか。


女は
「もう一番」
と勧めますが、
きっと妖怪に違いないと思い、
寛蓮は早々に退散しました。


翌日、その家のあったところに人をやって調べさせたところ、
そこには老女が一人いて、その老女が言うには
「ゆうべの人は東方から物忌み(注)のためにやってきて
昨夜のうちに帰った」
ということでした。


(注)
物忌みとは神事などのため、ある期間、飲食・言行などを慎み、
沐浴をするなどして、心身のけがれを除くこと。潔斎。斎戒。




囲碁 ブログランキングへ

21:25 | Page Top ▲