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第306号 なぜ囲碁では博士になれないのか

「末は博士か大臣か」
というのは50年前にフランキー堺主演の映画の
タイトルにもなった有名な言葉ですが、
最近はとんと聞くことがなくなりました。

大臣は国政をつかさどる偉い人という意味と同時に
数が限定されているので稀少性があり、
誰でもなれるわけではないという意味があります。

博士は研究や学問を積み上げた人で、
やはり大臣と同様にそう多くはいない、
立派な人という意味です。

ところが最近では、
STAPP細胞の研究者のみならず、
誰でも他人の論文のコピペをつなぎ合わせた
博士論文でも博士になれるようですし、

無知蒙昧な人が次々と大臣になって
いるということで
博士や大臣に価値が見いだせなくなくなって
しまったために
「末は博士か大臣か」という言葉が
死語になってしまったのかもしれません。


明治44年、夏目漱石は
文学博士号を授与するから文部省に来るように
と通知が来たとき、胃潰瘍のため入院中で、
授与式には参加できませんでした。

後で博士号の学位記が送られてきましたが、
そもそも夏目漱石は文学博士号には
まったく興味がなかったのです。
それで、その学位記を文部省に返却しました。

博士号のような肩書きが自分の価値を
変えるものではないことに
100年も前に気がついていた人が
いたということです。

自分に自信がない人ほど、
肩書きを欲しがるもののようです。


囲碁の世界でも
不思議なことに
初段の免状を欲しがる人は
初段の力のない人がほとんどです。

すでに実戦で初段で打っている人は
初段の免状を欲しがりません。

でも、その人に5段の免状、要りませんか?
と訪ねたら心が動くのではないでしょうか。


やはり、人間は
自分の実力より上の肩書きを
欲しがるもののようです。

「博士」に話を戻すと、
その取得の難易度はその分野、学会によっても
大きく異なります。

一般に、理系の博士号は取得しやすく、
社会科学系の博士号は取得が困難という傾向があるようです。
文系の社会科学の中では、商学博士は取得しやすく、
経済学博士は取得が非常にむずかしい
という話を聞いたことがあります。

文系の人文科学の歴史分野などは思想の対立もあって、
立ち位置を外すと
どんなに頑張っても博士号は取れないようです。

囲碁は上達のために非常に時間を要します。
たとえ級位者であっても、
その勉強量は他分野の博士に匹敵する
のではないかと思うくらいです。
いや、完全に匹敵しています。

博士になるためには最低でも大学院で修士・博士課程の
合計5年の研鑽が必要です。
5年間、特定分野を四六時中勉強すると、
博士になれるレベルの勉強量に達するわけです。


趣味で囲碁をやっている人は
四六時中とはいきませんが、
20年もやっていれば
四六時中専念した5年には相当するはずですが
囲碁博士になったという話は聞いたことがありません。


だって、
囲碁には博士号なんてありません。
これはひどいオチですね。


では、プロ棋士が他分野の博士に相当するんでしょうか。
それなら5年でプロ棋士になった人はいるので納得です・・・

いやいや、
プロ棋士って、実力世界の相当な競争を経て、
ほんのひと握りの人しかなれません。
分野にもよりますが
博士になるよりプロ棋士になる方が難しいと思います。


ということは・・・

博士になる以上の時間を費やし、
努力をしているのに、
10年も20年もの間
万年級位者でいることが
まったくおかしなことであることに気がつきます。


それは
囲碁ほど学ぶための体系が整っていない分野はない
つまり、勉強しにくい分野だと言えるとしても、

学ぶ側にもそれだけのの真剣さがない
ということなのかもしれません。


対局を楽しむだけのことは
勉強とか言いません。
研究とも言いません。

何を知りたいのか、確かめたいのか
はっきりとした目的を持って
本を読んだり、石を並べたり、
対局したりすることが勉強ということです。

何十年やっても
ただ対局を楽しんで
勝った勝ったと喜んだり
負けた負けたと落ち込んでいるのは
勉強とか研究とかとはかけ離れた行為なのです。

それで何万局対局したとしても
そして、たとえ囲碁博士の制度があったとしても
博士になれないのは当然のことなのです。



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