March 16, 2007
第47号 精神論と具体論
物事には「こうあるべき」という精神論と実際に行うべき具体論とがありま す。 囲碁で言うなら、たとえば、 囲うな、攻めろ。 というのは精神論。テーマと言っても良いかもしれません。 実際の棋譜の中で、この手が地を囲う手、この手が攻める手、 と碁盤上の箇所を指摘するのが具体論です。 精神論というのは、ある意味、誰でも言えます。 囲碁を打ったことのない人でも、受け売りでいくらでも言えます。 もっとも典型的な精神論は「頑張れ」とか「元気を出せ」です。 プロ野球の解説でもっとも多いものですね^^; 自分は天賦の本能だけで実績を上げたけれど、技術を人に説明できないとい う解説者、スポーツ界では特に多いのですが、こういう人の解説はうんざり します。 精神論だけでは、途中で話を打ち切られたような欲求不満が残ります。 だからどうすればいいの? 精神論と具体論、実はどちらが大切ということではないのです。 一般には精神論はだれでも言えるため、嫌われる傾向がありますが、物事の土台になるところです。精神論なくして具体論はありえません。 逆に、具体論だけを言われても、そんなものなんだ、と思うだけで理解は困難で、なかなか身につきません。同じような場面で応用が利かないのです。 囲碁の場合は具体論が先行してしまうことが多々あります。 プロの先生が、自分の棋譜を解説する場合、特にその傾向が強いようです。 カリキュラムなし? 自分の棋譜、自慢したいだけだったの? 最初に棋譜ありきではなくて、あるテーマ(精神論)を説明するために、棋譜(具体論)を選んで説明するということでなくてはいけません。そうでなければそれを聞く人は、上達のための糧を多くは得ることができないでしょう。 精神論と具体論をセットにして説明されると理解が深まります。 棋書にしても囲碁教室にしても、精神論と具体論をセットにして説明しているものを選びたいですね。 精神論だけと言うのはほとんどありませんが、具体論だけ、というのは結構あります。 この場合こう打てば良いのは分かったけど、結局何を教えようとしているの?という感じで、ただ、とりとめもなく「こう打て」「こう打て」がだらだら続くとイライラしてきます。 教材・指導者の評価基準のひとつです。 |