トップページ >囲碁エッセイ> 第64号  どこまで読めるか

第64号  どこまで読めるか

囲碁の神様2人が対局したら・・・

黒番の神様が一手目を打ったとたん、
白番の神様が

「参りました」

と、投了しました。

・・・という話があります。

神様はすべてを読み通せるので、一手目が打たれただけで、終局まで読み通してしまい、勝負がついてしまうのです。

-----


ヨミについては
最近読んだ王銘エン九段の「読みの地平線」という本に、分かりやすい説明がありました。

地上に立っていると、先のほうは一定の所までしか見えません。
地球は丸いから、どんなに目がよくても地平線の先は見えないのです。
少しずつ先に進むにつれ、そのまた先が見えてきます。

囲碁もこれで同じで、プロと言えども最後までは読めるわけではないというのです。

だから一場面において、私たちアマチュアはプロに
「ここでどう打つべきでしたか? 」
と訊くことが多いけれど、答えられないというのです。

勝敗まで分からなければ、どう打つべきかは分からない。

どう打つべきか、ではなく、

「どのように打つか」
なら、方針を求める質問なので答えられるというわけです。

-----


囲碁には死活が絡む最後まで読みきらなくてはいけない場面、つまり1路たりともヨミを間違ってはいけない場面と、方針さえあっていれば1路、2路の違いは問題にならない場面とがあります。

定石を暗記するような勉強をしていると、正解は1ヶ所だけと思い込む間違いをおかします。

むしろ、読み切れないところをどういう考え方で打つか、
どういう考え方でカバーするのか、

それが囲碁の醍醐味だと言えそうです。


01:15 | Trackbacks (0) | Page Top ▲