April 07, 2007
第64号 どこまで読めるか
囲碁の神様2人が対局したら・・・ 黒番の神様が一手目を打ったとたん、 白番の神様が 「参りました」 と、投了しました。 ・・・という話があります。 神様はすべてを読み通せるので、一手目が打たれただけで、終局まで読み通してしまい、勝負がついてしまうのです。 ----- ヨミについては 最近読んだ王銘エン九段の「読みの地平線」という本に、分かりやすい説明がありました。 地上に立っていると、先のほうは一定の所までしか見えません。 地球は丸いから、どんなに目がよくても地平線の先は見えないのです。 少しずつ先に進むにつれ、そのまた先が見えてきます。 囲碁もこれで同じで、プロと言えども最後までは読めるわけではないというのです。 だから一場面において、私たちアマチュアはプロに 「ここでどう打つべきでしたか? 」 と訊くことが多いけれど、答えられないというのです。 勝敗まで分からなければ、どう打つべきかは分からない。 どう打つべきか、ではなく、 「どのように打つか」 なら、方針を求める質問なので答えられるというわけです。 ----- 囲碁には死活が絡む最後まで読みきらなくてはいけない場面、つまり1路たりともヨミを間違ってはいけない場面と、方針さえあっていれば1路、2路の違いは問題にならない場面とがあります。 定石を暗記するような勉強をしていると、正解は1ヶ所だけと思い込む間違いをおかします。 むしろ、読み切れないところをどういう考え方で打つか、 どういう考え方でカバーするのか、 それが囲碁の醍醐味だと言えそうです。 |